カテゴリー「独り言」の記事

まっちゃんのお魚談義~非現金主義!~

おいらはどちらかといえば非現金主義?
約30年前、従業員さんへの給料は現金支給、
当時これがあたりまえだったが、事務的負担を少なくするため直ぐさま銀行振込に、
おかんは「現金の方がありがたみがある」とか、
とある従業員さんは「振込は困る」とか、
どう困るんじゃ~
全て一蹴!
せめてボーナスだけでも、
No!
隠し事をしたいのならそっちの裁量でやってくれ、そんなことにいちいち付きあってられるか~〜
当時の魚屋ってそんなヤボな世界?
目の前で現金が動くからか、現金を持てばやたらと気が大くなるタイプの人が多かった、
それって妄想にすぎないのに、

おいら取引先への支払いも現金主流の時代から、いちいち小切手を持って行くのが面倒だったので、いち早く銀行振込に、
「社長、小切手持ってくるのも銀行へ振り込むのも同じですやん!」
それがちゃうねん、これからはPCで振り込めるようになるネン!
えっ、ほんまでっかぁ~

今ではあたりまえのHPや携帯もいち早く導入したが、周りの視線は冷たかった、
それが今ではどうだ!

そんなおいらが店頭販売に関しては現金主義というのもおかしな話、

魚屋に合う端末がない、決済に時間がかかってしまう等の不安からスルーしてきたが、この度、PayPayを導入した、
これならなんとかなりそう・・

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17年前に始めた松庄のHP

今から17年前に作って店に貼った看板、新しくしようにも外せない(笑)

当時、ネットはまだダイヤルアップで、長時間見れば恐ろし電話代が請求される、そんな時代。

Googleもまだ今のようなレベルではなく認知度も低くかった、

検索といえばYahooだった?

ただ、これは登録するのに少々ハードルの高い?審査があったが、そこはクリア。

とはいえ、こうやって店頭で告知するのが手っ取り早かった。

今なら「松庄」で検索すれば一発だが、当時はまだURLを入れる時代、

今思えば、誰がそんなんいれんネン!

時が流れ、もはやSNSの時代、

松庄のHPも多くのお客さんが利用してくれてるようだ。

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いかなごがキッカケで始めたHP、今では・・

思えばおいらがホームページを作ろうと思ったきっかけは、まさに「いかなご」。

今でもそうだが、いかなごに関するの問い合わせの電話はほんと多い。

お客様に対してキチッと応対しなければという気持ちは山々だが、小さな個人商店では作業に追われ、なかなか手が回らない、おそらく他の魚屋も同じだろう。

そこで、今から約15年前、おいらが目をつけたのがホームページ。

ただ、当時はまだWindowsが世に出たばかりで、多くの人にとってまだまだインターネットは未知なるもの。

おいらが手作りホームページを鮮烈に?世にデビューさせた時、世間の反応はといえば賛否両論?

「凄い!」と褒めてくれた人もいれば、オタクな奴、魚屋にあるまじき奴?と後ろ指をさした輩もいた。

まぁ、それはいいとして、

自ら情報をアップすることで、いかなごの電話に対する問い合わせを回避したいという狙いは功を奏した。

徐々に電話は少なくなり、同時にいかなご期のHPのアクセス数は増えていった。

やがてそれは、いかなご情報に留まらず魚ネタ全般、魚に対する主義主張?さらには趣味の分野へと進んでいった。

そうなってくると、いろんな人から反応が返ってくる、それがまた楽しかった。

お客さんはもちろん、魚の棚、市場の人からも「社長、読んだよぉ~」って、感じで・・

おいら、文才がなれけば、文書を書くことも好きではない。

ただ、こうやってHPやブログを更新していると、知らず知らずのうちに沢山の文書を書いている自分がいると同時に、客観的に自らを見ている自分がいる、そんなことに気がついた。

その結果、自分の中にあるいろんな考えが整理できる、

いったいどういう商いをしたいのか・・等々。

ハッとする何かがひらめいたりすることもあった。

「全品明石物」もその中の一つだ、

お客様がいったい何を欲しているのかを整理、分析することで、より分かりやすくストレートに出した方がいいのではないかと・・

そして、もう一つは「宣言」ではなかっただろうか。

ネットで文書をアップすること、それはおいらにとっては小さいながらも=「宣言」となる。

先に宣言することで、自らを律する、ある意味プレッシャーとなるとが、これまでのあり方を見直すいい機会となった。

ネットが普及し始めた頃、まさに商売は繁忙期から衰退期に移行していった。

繁忙期は何もしなくてもお客さんは来て下さるのだから、とにかく仕入れと販売さえしっかりやっていれば、それで全てが上手くいった。

しかし、今はそんな古き良き時代ではない。

まずは関心を持って頂くところから始めなくては・・

ネットでの情報発信もそんなところに本当の狙いがある。

「それって儲かりまっかぁ~?」

そんな野暮なことを聞いてくる商人もいたが、

そんな奴には「メチャクチヤ儲かるよぉ~」って適当に応えておいた、

そんなわけないやろぉ~(笑)

その部分でやるなら無駄な労力以外の何ものでもない。

とはいえ、関心を持って頂くだけではダメで、そこは商売、最終的には買って頂くというところに結びつかなければならない。

そして、その買って頂いたものが評価されてこそ報われる、その繰り返しかもしれない。

商売は難しい、だから面白いしやり甲斐がある。

困難な時代であればあるほど、自らの力が試される。

人生一度きり、やり甲斐と儲けどっちとるネン?

もちろん儲け!!

・・って、どないやねん(笑)

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今年の一枚

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今年もおかげさまで沢山の思い出ができました。

いろんな人から刺激をうけ、老体にムチ打って?なんとかついていけたような?

さて、今年の一枚をあげるとすればやはりこれかなっ。

今年も残すとこあと3日、頑張ります、

ではなかった、

「がんばろ~~!」←自分に言ってます(笑)

お世話になった皆さん、ありがとうございました。

来年もどうぞよろしく。

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2015師走

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さて、いよいよ師走。

商人にとっては一年の総決算。

魚の棚では7日(月)~9日(水)までの3日間、売出しも行われます。

当店に関するお魚情報はこちらにのせています。

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シルバーウィーク

9月20日(日)

シルバーウィークまっただ中。

流石にお客さんは多い、魚の棚もまだまだ健在やねっ。

さらにはハモが多いので早朝4時過ぎから仕事開始という過酷な?日が続いている。

ただ、日曜日は明石浦が休市ということで昼過ぎに店を山ちゃんに代わってもらい、

まっちゃんBANDで原人祭り出演するため大久保の石が谷公園へ・・

衣装?も用意されていて、原人モードスイッチオン。

演奏が終わり再び店に・・

その後、今週末に行われるまっちゃんBANDの上の丸公演?の練習をして、

一杯引っかけた後、

ポチのブルースセッションに参加させてもらった。

ここでは凄腕ミュージシャンから刺激をうけ、「もっと練習せな」っと決意&反省。

さて、まだ続くシルバーウィーク、

仕事モード全開!

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明石市プレミアム付商品券

明石市プレミアム付商品券

本日(9/2)2日目、

意外と多くのお客さんが利用されている。

まぁ、使う側(お客さん)は単純に「得」なはなし。

何枚発行しても完売になるのではないかと・・

ただ、いくら発行されたかしならいが、発行額だけの経済効果があるとは単純には言えない、

なぜなから内何パーセントかは元々ある需要。

ではその経済効果をどう計るのか、

これは、受け取る側(お店)が、この商品券を使ってもらった結果、昨年よりどれだけ売上が上回ったのか?ここでしか計れない。

極端に言えば、結果、全てのお店が売上前年対比100なら(もちろん現実にはありえない)その効果はなかった、単純に並んで買った人だけが得をしたと考えるべきではないかと。

その「得」の出所は税金=買わなきゃ損?

ただ、これを計るのは企業のような一事業所であれば簡単だが、全市となればおそらくムリだろう。

とりあえず、既に始まっている、

売上昨年対比100を越えるよう・・

せめて、前回より多くの商品券を松庄で使って頂けるよう・・

それくらいのもんかなっ(笑)

取扱店になると得というよりも、ならないと損というのが正直なところかも。

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出たとこ勝負!

「毎日が出たこと勝負!」

エエかっことも、いい加減とも聞こえるが、そういうところで商いをしているのでやむを得ない。

松庄が扱う主な魚は明石物=天然物。

天然物は自然に左右されるので水揚げ状況は毎日変化する、一定ではない。

昨日はまったく水揚げがなかった魚が、今日はうって変わって大漁、そんなことも頻繁にある。

そんな中において計画的な販売というのはまずもって不可能。

セリ台に立って状況を見ながら判断しその場で考える。

このあたりは経験とセンス、腕の見せどころ=勝負どこ。

もちろん良い日もあれば悪い日もある、

だから毎日が闘い、気が抜けない。

一方、スーパーではこの出たとこ勝負を嫌う。

計画仕入、計画販売、つまり安定供給が求められる。

となると養殖物、或いは他地域の魚、輸入物に頼らざるを得ない。

地産地消がさけばれる中、スーパーの鮮魚売り場で地魚が少ないのにはこういった事情がある。

余談だが、最近、商い以外のことでも「毎日が出たこと勝負!」そう思うことが多い。

本当はある程度計画にやるにこしたことはない、そのための準備が必要なことも分かってはいる。

ところが世の中そんなに上手くはいかない、トラブルもある。

この先も何が起こるか分からない、不安もあるが、今それを心配しても無意味、

結局、出たとこ勝負で乗り切るしかない。

このあたりは、仕事を通じて自然に身についたことかもしれない。

※↓写真は明石浦のセリ場、なにがくるかは分からない、出たとこ勝負!

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消費税増税がいかにキツイかっ

松庄の店頭では従業員が素早く魚を袋に入れ、その手でお金の受け渡しも行う、忙しい時はかなりバタバタ。

手が濡れてることもあるので、レジなるものは、とてもまどろこしくて使えない、昔からこのバケツ(↓写真)がレジ代わり。

税務署からレジの導入を求められた時も、理由を丁寧に?ご説明しお断りした。

ただ、レジを使わないということは細かい計算が難しい、

となると消費税はやむなく内税。 1000円の商品は1000円、1080円となはならない。

一方、スーパー等は1000円という数字はまず使わない、通常は980円。

安く見せるためにそうしている。

しかし、これに消費税がつくと1058円と1000円を越える。

内税の店にとって消費税増税はどれだけキツイかっ。

本来なら1080円で販売すべきものを1000円で販売するのだから実質は値下げ。

計算しやすくするため1100円にすれば、購買意欲を低下させることになりかねない。

ただ、そこまでは我慢する。

もう一つは仕入、こちらは、消費税もしっかりついてくる。

つまり、売上は減額、仕入れは増額となる。

ましてやこれが10%ともなれば・・

新聞に「家電量販店最大手のヤマダ電機は24日、消費税増税の影響で採算が悪化している地方の郊外型店舗を中心に、計46店を5月末までに閉鎖することを明らかにした。」とあった。分かる気がする。

これ以上の増税は地方においてはかなり厳しい。

Kobe

※↓写真は2004年神戸新聞「風の記憶」に掲載されたもの。

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震災後の20年は新店舗の歴史

震災から20年・・

おいらにとって、震災後の歴史は新店舗の歴史と重なる。

写真は震災翌年に行った新社屋の建築工事、

住まい(中学2年までここに住んでいた)と店を併用していた木造の旧店舗を全て解体し鉄骨の新たなビルを建てた。

震災で店が倒壊したからのではない。幸いこのあたりは震災による家屋の倒壊というのはほとんどなかった。

母(親父は既に他界)は今でいうところのリフォーム的なものを考えていたただけに、新築にはかなりの難色を示した。

母にとって旧店舗は、思い出が沢山詰まっている場所でもある。

ただ、これまでのあり方を見直すにはどうしても一旦全て解体し新しいものを建てる必要があった、

リフォームでは中途半端、やるなら新築というのは譲れなかった。

そして最大のハードルはもちろん膨大な資金。

店舗そのものと実家を担保に銀行から融資を受けることにしたのだが、

つまりそれは、事業が失敗したら、仕事も家も失うということでもある。

おいらの器ではおそらくこれが人生最大のリスクになりそうな気がした。

返済期間は10年、この間、自分を押し殺し、利益至上主義であり続けたのは、「返済」というものがいつも頭の片隅にあったからだろう。

お金というのは時にありがたく、時に恐ろしいものでもある、理屈だけで回っているのではない、このことを身をもって感じた。

世の中、お金が全てではなことくらい分かっている。

それでも、けっしてあまくみてはいけないものである。

新店舗の建築にあたっては、正直かなり悩んだ、というか、恐かったというのが本音かもしれない。

当時は今から思えばかなりの好景気だったが、それとていつまで続くか分からない。

(実際、魚の棚は平成8年をピークに、その後、低迷期を迎え新たな時代へと進んで行った)

工事期間も約半年、その間、どうするのかという問題もあった。

一度決心すればもう後には引き返せない。

その時、後押しされたのがあの震災だった。

あの瓦礫の中から立ち上がろうとする神戸市民を見て、人間の凄さ、強さを心底に感じた。

これと比べたら、おいらのやろうとしていることなんて「たかが・・」である。

おいらも人生一度くらいは大きなリスクを背負って挑戦してみよう、

その勇気を与えられ、背中を押された気がした。

震災から20年、おいらにとっても大きな大きな20年。

20151017

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